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斷片 -書の言葉とは-

  • harunokasoilibrary
  • 2月23日
  • 読了時間: 3分

更新日:6月1日

 「ことば」「言葉」、一般に人は文字がなくても声で言葉を話すことができる。声が出なくても文字を使って言葉を書くことができる。文字も声もなくてもからだを使って話したり、頭の中だけで言葉を使って考えたり話したりすることができる。

 通常、私たちは声を出して言葉を話すか、また声に出さずに頭の中だけで言葉を使い、考えたり話したりするか、言葉を文字で書いて考えたり、考えたことや感じたことを伝えたりしている。このように言葉には「話し言葉」と「書き言葉」があるが、通常でない言葉を使う人びともいる。画家は「絵のことば」で描き考え、音楽家は「音楽のことば」で話し考えるのである。絵画、彫刻、音楽、文学、演劇、映画、工芸、建築などいわゆる芸術は、その種類ごとに固有の言葉で話し、あるいは描き、あるいは書くのである。

 「書」も芸術である以上「書」固有の言葉がなければならない。わかりきったことではあるが、どんなに感動的で美しい言葉であろうがそれが活字で印刷されたものならばそれは言葉そのものに感動しているだけである。その生のままの言葉や詩が「書の言葉」に昇華されてはじめて書が成立し、書の美に感動するのである。書を学ぶとは、書き言葉である「書の言葉」を学ぶことである。書の言葉は文字によって表現される。だから「書の言葉」とは、文字そのものではないが文字のことでもあり、文字とは言葉なのである。(少なくとも東アジアでは)

 画家はもちろん普通の言葉で考え話し書きもするけれど、画家が画家であるゆえんは、色や形といった絵に固有の言葉で考え感じ描くからである。もうおわかりと思うが、音楽家が音楽家たるゆえんは、音といった音楽固有の言葉で考え感じ話すからである。芸術は、理屈で説明することはある程度までは可能である。しかし本当のところは説明できるものではない。絵は色を使って色になじみ、音楽は、音になじむことによってしか言葉を語ることはできないのである。つまり絵はたえず描くことによって、かりに描かなくても描くように見たり、また考えることによって、音楽は、音をたえず奏でることによって、たとえ実際奏でなくても、音で想いまた描くことによって理解は深まり、自己の世界を広げ、場合によっては、自己のみでなく自己以外の世界も変革することができるのである。

 書も絵や音楽と同様、書くことによってしか書けないのである。書が上達するということは、書に固有の言葉を深くたくみに表現することが次第にできるようになってゆくということでもある。上達の秘けつは書くことしかない。たとえ実際に書かなくても書くように考えまた見ることによってたえず書き、書くことによって書きつづけることである。

 それでは書に固有の「言葉」とは何か。それは、色でもない、形でもない、点でも線でもない、面でも立体でもない、もちろん音でもないそれ以外の何ものかであるはずだ。それは書の歴史の中にはっきりと存在しているにちがいない。書の歴史そのものが書の固有の世界であり、「書の言葉」の歴史なのである。延延とつみ重ねられてきた「書の言葉」の歴史は、書くことによってしか本当には理解することはできないのである。

(1998年5月・会員つうしん第33号掲載)

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