愛は何処に
- harunokasoilibrary
- 2025年7月8日
- 読了時間: 4分
生死をさまよったとき、ぼくは多くのものを失ったが、少しだが大切なものをも発見した。それは海のように茫漠とした愛の世界のようであった。
愛、愛、愛、なんて俗悪な言葉だろう。シャンソン歌手もどきや演歌歌手もどきが演技たっぷりに、もっともらしく歌う、嘘っぱちの、言葉だけの月並みな愛ではなく、つきつめた、根源的な真実の愛を、ぼくは描きたかったのだ。茫洋とした愛から、マーガレットや水仙の花のような可憐な愛まで、確かに愛はすぐ手の届くところに、ほら、そこにあるのだから。

ぼくは多くの力に助けられて幸いにも生きのびたけれど、生きていることが、悲しくて、淋しくてしかたがない。未完だった作品を仕上げられ、愛する人にも再会できて、輝く日常もとり戻したけれど、生きていることが悲しくて、淋しくてしかたがない。どうしたのだろうか。病気のせいで気力や体力が弱っているからかも知れないが、ふっと淋しくなるのだ。不実な友人の行いに、失望し幻滅を感じ人間への信頼を失ったからだろうか。おカネが希望と同じくらい少ししかないことからくる、明日への不安からだろうか。
愛と一緒に歩いた道も、愛と共に身体に浴びた光も風も、愛し合った事実さえもいつか全て忘れ去られ、夢のように消えてなくなるのだと思えば、悲しくて、淋しくてどうしようもないのだ。
家や墓にこだわる人は哀れである。家が永遠に在るとでも思っているのだろうか。百年前、二百年前、千年前の墓碑に刻まれた名前も業績も誰が知っているというのか。無名で亡くなった人がほとんどだろうが、誰が無名の人を覚えているだろうか。有名人でも、ほとんどの人の記憶にもないだろう。一万年もたてば、全てが無に等しいだろう。家の墓や家系にこだわる人は愚かとしかいいようがないが、それでも人は「失われた時を求めて」生きずにはいられないのかも知れない。

「一冊の書物は大きな共同墓地なのだ、
そこでは大部分の墓石の名が風化し、
もはや判読できない。」
マルセル・プルースト
(パステルナーク詩集「晴れよう時」のエピグラフより)
生死をさまよっている間に、愛の衣装で身を飾った、きょうだい、親戚、友人知人、信頼し親しみを感じていた人たち、などなど、ぼくは多くの人間を失った。もう誰も信じることはできなくなった。こんな悲しいことはないが、これもぼくが招いた結果であろう。誰に対しても非難することはできないし、その気もない。価値観や好き嫌いや認識が違うのだから仕方がない。歪んだ、とぼくが感じる、ものの考え方や世界の捉え方をしている人たちなのだから仕方がない。同じ時代に生き同じ国に暮らしていても違う時代、違う世界に生きているようなものだ。見つめ合ってはいても、心は違う処を見ていたのだった。ぼくを見棄てた(ぼくが見棄てたのかも知れない)この人たちを、ぼくは天使だと勘違いして信じていたのだ、そこに愛はなかったのだと思う。ぼくは愚かであった。
死という絶対的な事実と、いのちは助かっても世話のかかる廃人になるかも知れないという不安が、人の本性を顕かにしてくれたのだ。多くの善人顔した、損得勘定をして生きることが習慣になった人たちは、何の得にもならない人間関係を嫌ったのかも知れない。

ぼくは、もう、あまり、不実な人たちについて、あれこれ考えることは疲れるので止めようと思うが、書道会の会員だった人たちについてだけ一言、彼らの人間性も作品も、良いと思ったことは一度もなかったことを書き残しておこうと思う。気を遣って、はっきり言わなかったぼくが悪いのだが、彼らの人間性や作品に対して、常に違和感を感じてきた、それは、芝居じみた嘘嘘しい世界、気持ち悪い嫌な感じ、といったらいいかも知れない。ようするに嫌いな人たちだったということだ。
ぼくたちは、明日はもうこの世にはいないかも知れないのだ。こんな不実な人たちのことは忘れて夢を語ろう。ぼくは、愛の事実を、永遠に消えない愛を描きたいのだ。
「友よ、逆境にあっては、常にこう叫ばねばならない。『希望、希望、また希望』と。」(ビクトル・ユーゴー)
(2020年12月・会員つうしん第171号掲載)

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