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劣等感こそ進歩、上達の原動力

  • harunokasoilibrary
  • 2月21日
  • 読了時間: 2分

更新日:6月1日

 古いと思われるかもしれないが、新しいから新しいとはかぎらないように、古いから古いとはかぎらない。書はやはり表現とはいっても、表現だけに限ったことではなく、表現とは自己を作り上げていくことであるともいえる。未完成の自己が完成をめざして一字一字、一枚一枚、一作一作、書を学んでいくのである。

 完成をめざすためには、目標となるものがある。心ある古人は、床の間や応接間、玄関など多くの来客が目にするような場所に自分の作品を掛けるようなことはしなかった。そのような場所には、自分が目標とする、または尊敬し、理想とするような作品を掛けたのである。未完成な自己(うぬぼれた馬鹿な自己といってもよい)をさらけ出すような恥ずかしいことをしなかったのである。今の人にそのままそれをまねよとはいわないが、書を学ぶ者として、初心を忘れず、謙虚なういういしさをいつまでも大切にしなければ本物の書はかけないということくらいは考えたほうがよいと思う。

 しかし、自分の作品は、習作であっても、完成作であっても、また手本の臨書であってもプライベートな場所でつり下げて、何度もくり返しながめなければならない。その良いところ悪いところをじっくり見なければ上達はおぼつかない。中でも、自分の欠点や嫌いなところから目をそらさずに、そこを直視すること、そして劣等感を持つことが上達の秘けつなのである。他の分野でもそうだと思うが、、劣等感こそが全て進歩、上達の原動力なのである。

 自分はいつも拙い字を書いていて恥ずかしいと思う劣等感を持っている人こそ自信を持ってほしいと思う。ただし、劣等感に押しつぶされてはもともこもない。死ぬまで劣等感と戦っていつかはそれを払いのけるのだという夢だけは捨てないでいただきたい。

(1997年11月・会員つうしん第30号掲載)

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