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個展を終えて

  • harunokasoilibrary
  • 6月14日
  • 読了時間: 3分

 昨年から私は個展活動を再開した。

 人目にあまり付かない、小さくて安い会場を借りて、毎年、ときには年二回ほどのペースで作品を発表しようかと計画していた。

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 それまで、この鬱陶しい社会に愛想を尽かしていた私は、表現活動を止めようと考えていた。世界は八方塞がりで、私の存在する場所は何処どこにもないように感じられた。所属したい国も集団も地域もなかった。卑しい人間の世界は消滅するだろうとも思われた。二十回以上も書展をつづけてきたにもかかわらずそう考えていたのだ。つづけてきた結果そう思うようになった、といったほうが良いかもしれない。書道界にも芸術界にも尊敬する作家は一人も現存していなかった。魅力を感じる作品も人物も皆無ではないが、それに近かった。私が知らないだけかもしれないけれど。

 それよりも、私の作品が書道界からも芸術文化界からも一瞥さえされないことに、表現者として敗北したのだ、との思いが年々強まっていたことが、止めようと思った第一の理由かもしれない。また、芸術家と騒がれている人に、卑しさと虚しさとアホらしさは感じても、敬愛の念など微塵もない私は、端っから芸術家などになりたいとも思わないが、本来的に芸術家ではないのであろうとも思う。

 それでも、私は人目に付かない小さな安い会場で、人知れず、動けなくなるまで作品を発表しつづけ、たった一人でも良いから、私の作品を理解し、愛好し、私の作品に救われる人との出会いを不遜にも夢みたのだった。永遠の友との出会いを・・・・・・。

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 今回の個展は、昨年に引き続き、「てふてふの会」の人たちを中心に思いがけない人たちが、私の個展の実現のため、物心両面にわたり支援してくれ成立した。私の思いとは少しずれてはいるが、使用料の高い京都市の一等地で開催することができたのは、無償でギャラリーや美術館や新聞社回りをして私の活動を宣伝してくれた「てふてふの会」のみなさんや協力金を寄付してくれた五十人近い人たちのおかげである。

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 私はこれらの人たちに後押しされて制作に没頭できたのである。感謝の言葉が出てこない。このようなことがなぜ起きたのか、私には分からない。ただ〳〵ありがたいだけである。

 傍観者は「あなたは幸せな人ですね」と社交辞令を言うけれど、幸せなはずがない。施しを受けて、何一つお返しをできない人間が幸福なものか。施しできる人こそ幸せではないか。私が幸せと感じる日が来るとしたら、それは支援してくれたこの人たちに、それに見合うだけのお返しができた時だろう。そのような日が来るとは私にはとても思えないけれど、いつの日か必ず実現しようとも思っている。

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 私は本来、プライドの高い、独立独歩の孤独な人間である。人の世話になどなりたくない。しかし、今回は、多くの善意ある支援者のかたがたのご好意に甘えてしまった。この個展は人々の善意との関係から生まれた個展であると思う。多くの好意あふれる笑顔が脳裡に浮んでくる。今後も、この関係は大切にしなければならないと考えているが、期待に応えることができない自分の無力さが情けない。

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 それにしても、支援者のみなさん、もう充分に支援していただきました。もう充分です。あとは私がなんとかしてお返しすることだけです。

 空しさだけが残る祭りのあとで、明日のことは誰にも分からないけれど、私を人間界に引き戻してくれたみなさん「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」。



(2017年10月24日付京都民報より)
(2017年10月24日付京都民報より)

2017年10月24日付京都民報より)

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