人間生存の危機と表現(安全第一)
- harunokasoilibrary
- 3月4日
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更新日:6月1日
10代半ばだったぼくは、京都の郊外の小さなドブ川で、背中の曲がった魚を観た。それはおそらく工場排水によって奇形にされた魚であったのだろう。ぼくは少年ながら、少年だからこそと言ったほうがよいか、未来の恐ろしい生命絶滅の予感に戦慄し、愚かな人間(大人たち)どもに、やり場のない憤りを感じたのだった。しかしその時には、まだ何かができるという微(かす)かだが強い希望が、ぼくにはあった。すばらしい敬愛する大人が、少数ではあったがぼくの前にはいたからだ。けれどもその後、結局ぼくには何もできなかった。それどころかぼく自身が、この異常な魚のように変形しグネグネに曲がってしまったのだった。
その日から20年ほどたった1982年11月、日本科学者会議主催による「第4回総合学術研究集会」が京都で開催された。現在からは20年ほど前のことになる。その基調報告を見てみよう。それは、「人間生存の課題と科学者」というタイトルで「異常な時代に生きているという認識こそわれわれの行動の基本であろう」というサブタイトルがついている。そして、これから21世紀にかけての数十年あるいはあと1~2世紀にわたっての期間は、まことに異常かつ奇妙な時代であると言わねばならないだろう。(中略)人類は、みずからが作りだした文明の『つけ』によって、破滅の危機にさらされるようになった。」として文明についての三つの点を指摘している。
「第一、文明とは人間による環境(自然)の人工化であり、かくて作られた人工環境の中での人々の生活である。第二、そのような環境の人工化によって、人々は一体何をなそうとしたのか、まず初めに『安全』の追求…である。やがて『快適』の追求がこれに加わり、そして『利便』、すなわち『効率化』の追求が現れる。第三、…そしていま、現代社会は、初心『安全』を無視した『利便』追及の暴走状態をひき起こすに至っている。」
そしてこの暴走がもたらすであろう人間生存の危機を急性の危機と慢性の危機に大別している。急性の危機とは、核兵器によって、最悪の場合には、この瞬間にも、人間の生存そのものが否定されかねない事態に立ち至っていること。慢性の危機とは、数年、数十年、数百年という時間の尺度で、人類の生死の問題として考え解決しなければならない、公害、環境問題、自然破壊の問題、廃棄物処理の問題、資源・エネルギーの枯渇や偏在の問題、食糧問題、人口問題、富の分配の問題としての南北問題、文化・モラルの問題等々があげられている。
少年のぼくが感じた恐ろしい予感は、1965~75年にかけて公害という現象として現実のものとなった。この間、60年代前半から70年代の初めにかけて日本の政府や、学者や専門家といわれる有識者も、否、日本人のほとんどが、大量生産と大量消費を美徳と考え、世界一豊かな国という幻想のもと、いわゆる「高度経済成長」といわれている国土破壊の愚行をくりひろげたのであった。ぼく達は、その上にあぐらをかいているといえないであろうか。その後、不十分ながらも公害問題が少しずつ解決され反省されて環境がやや改善され出すと、人びとは「喉(のど)元過ぎれば熱さを忘れる」を絵にかいたように再び汚染を繰り返す愚行をつづけている。
基調報告の第4項の「科学者の社会的責任」を見てみよう。「『人知を尽くして』この異常さを切り抜けることこそ、現代を生きる人間にとっての至上の課題であることは、おのずから明らかである。(中略)第一に科学者は、この危機の実態を世界の民衆に知らせ、民衆の力を、危機を乗りこえていくだけの社会的な力に育てあげる責任を有している。(中略)第二、すべての科学者が、『正しい姿勢』で『あらゆる学問・技術』の水準を高めること。(中略)『人知を尽くして』危機に立ち向かおうという限り、現状では人間生存の課題とかかわりあわない学問などは存在しないであろう…。(中略)異常な時代に生きているという自覚を前提にして行動することが必要である。(中略)時代の異常性の自覚のうえに立って、『ヒューマニズムの視点を堅持することの重要さ』を確認しておくことが必要であろう。現代の危機の中から救出をしなければならぬ究極の対象は、体制でもない、情勢でもない、生きがいでもない、まさに『人間』であってそれ以外の何ものでもないことの確認である。…」ぼくは、ここに、蛇足ではあるが、救出しなければならない究極の対象は「人間」だけでなく、人間を含めたあらゆる生き物や、自然や物をつけ加えたいと思う。人間中心の考え方は、ぼくには何かなじまない。人間の傲(おご)りのような気がするからだ。
この会から20年ほどたった今、核による人類滅亡という急性の危機も環境破壊による慢性の危機も、世界的な常識になったといってよいだろう。しかしこの二つの危機に対して人類は人知による地球救出の方向に向かっているのか、それとも為す術もなく破局に向かっているのか、はたしてどうなのだろうか。1989年にベルリンの壁が消滅し、1990年東西ドイツが統一された。1991年ソ連も姿を消し、東西冷戦は終結した。幾人の人がこんな未来を予測し得ただろうか。そして米ソの対決が地球を二分する争いでなくなった後、小さな民族どうしの、悲惨な、血で血を洗う、先行きの見えぬ憎しみと争いの悲劇がくりひろげられることを誰が予想できただろうか。ぼく達はあまりにも楽天的過ぎたのか。壁が取り除かれ引き裂かれた人びとが喜びの涙で結ばれた。それは刹那にすぎなかったのだ。
新しくて古い憎しみの、長い不気味な影が、世界の終末を予言するかの如くに世界を覆い始めている。争いは、果てしなくつづくのだろうか。文明は、人びとの「安全」のために生まれたという初心を忘れて、産業革命以来2~300年の「効率第一、能力第一主義」の近代文明の諸矛盾が、21世紀を目前にして、マグマの如く、ふき出しているのだ。科学は進歩したが、人間は進歩していないのではないか。
ぼく達は、何を書いてもよい。美しい言葉でも、きれいな花でも、楽しい娯楽でも、恋でも、花鳥風月なんでも自由だ。これは、ごくあたりまえのことだ。自由こそ全てだ。ぼく達は、ことあるごとに自由を口にしなければならないと思う。しかし、ぼく達が今この地球でどのような状況におかれているのかを忘れた自由は虚しい。今、ぼく達がおかれている、また解決しなければならない二つの危機とかかわりあわない美や芸術は虚しい、とぼくは思うのだ。芸術は政治のように社会を改革することはできないかもしれないが、少なくとも、この空恐ろしい現実の中で、生きつづけるための活力や、励ましや、生きつづけようという意欲や癒しをあたえるものでなければ意味がないと、ぼくは思うのだ。書には書の、絵には絵の、音楽には音楽の、文学には文学独自の方法や発展の歴史があり、それは社会から独立したものではあるだろう。しかしそれは絶対的に独立しているわけではない。書が書の世界だけに自閉し、自家中毒をおこすようではいけないだろう。書は世界へ開かれた窓でなければならないと思う。そうでないならば、早晩書は、消滅することになるだろう。芸術は未来社会のモデルをすきなように造ることができる。現実世界は、やり直しはきかないが、芸術は、何度でも作り直すことができる。芸術を通じて、理想に向かって、ぼく達は、生きつづけることができるのだ。
ぼくは、あまり実際的でないことを語っているようだ。しかしときにはマクロな目で世界全体を視つめてみることも必要だと思う。
(2000年7月・会員つうしん第48号掲載)


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