主夫の喜び
- harunokasoilibrary
- 7月1日
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初夏の頃、長い間、脚の膝を痛めながらも、痛みを誤魔化しながら通勤していた妻が、ついに歩けなくなった。
通勤は無理だが、家の中では、何とか、少しは歩けるので、トイレや入浴などは独力で入れた。まわりの者は、介護しなくてすみ、ほっとした。しかし、痛みに歪んだ、苦しそうな表情を見ることは、当人の痛みほどではないだろうが、同じ位苦痛であった。
病院で車椅子を借り、診察を受けた。レントゲン写真を見ると、両脚とも、膝関節の軟骨が完全にすり減りなくなっていた。病名は、変形性膝関節症。重症である。特に痛みの激しい右脚の関節から手術することに決まった。決まったけれど、入院して手術するのは、一ヵ月半先である。さらに術後は、リハビリをしながら、一ヵ月半から二ヶ月ほど入院することになるとのこと。すぐに手術して、痛みから解放されるだろうと、手術への不安の中で、一日も早い苦痛からの解放を期待していたのだが、思い通りにはいかないものだ。さらに、退院してから半月ほどの自宅療養期間が必要とのこと。
妻は高齢だが、右脚の手術が上手くいけば、左脚の手術を残してはいるが、また仕事に復帰するつもりでいた。
手術までの一ヵ月半ほどのあいだ、妻は重いものは持てず、掃除、洗濯、買い物もままならないので、私が家事をしなければならなくなった。このようになる日がいつか来ることは、うすうす考えてはいたのだが、その日は、突然のようにやって来た。
毎日の習慣で、女帝か奴隷のように、何十年も、泣き言ひとつ言わず、妻は家事の一切を引き受けていた。家事一切を知らない、亡国の皇帝のような、無能な私は、いちいち、妻に聞き、習い、その稚拙さを笑われ、呆れられ、下手ながらも家事を手伝い始めねばならなかった。
ありとあらゆることが私には未知の世界であった。
洗濯機は全自動だが、黒いものと白いものは一緒に洗わない、漂白剤入りの洗剤とそうでないものを使い分けなければならない。めんどうくさいからと、黒いものと白いものを何度も一緒に洗ってしまい、黒い物に白い繊維がべったり絡み着いた物を、文句を言いながら妻が綺麗にしているのを見て、手間をかけさせてしまって申し訳なく思い、黒い物をネットに入れて洗ったり、別にして洗うようになったが、めんどうになり、しまいには、私の好きな黒色の物は着ないで、白いものばかり身に着けるようにもなったのである。かもめの水兵さんではないが、白い靴下、白い帽子、白いズボン、白いTシャツ・・・エトセトラ。白い革靴も買わねばならない。
洗濯物を干すのも大変であった。何ヵ月もの間、もたもたして時間がかかり過ぎていたが、見様見真似で、洗濯物を腕にいっぱいぶら下げて、タコの脚やピンチハンガーに干せるようになり、少しずつだが上手になっていった。妻が仕事に復帰した今も、妻の休みの日以外は、私が洗濯し干している。単純な繰り返しだが、乾いた後のたたみ方やアイロンかけにも、長い歴史があることが分かった。
何もかもが綺麗になるようで、洗濯するのは、ほんとに楽しい事である。取り入れる夕暮時の空の、なんと澄みきった事か!
トイレの掃除も、お風呂の掃除も、大変疲れるが、家族が毎日、快適に健康に暮らせることを思えば、やりがいのある仕事である。忙しくて、十分考える余裕がなかったのであろうが、妻の至らなかった所も発見し、そこを補い、少しだけ生活が豊かにもなったのは嬉しい事であった。
買い物は大変だ。何カ所も駆けずり回って、よくもこう沢山の重い物を、毎日毎日買ってきてくれていたものか!どこの店が安い、この調味料はあの店、野菜はあちらのスーパー、パンはあそこが良い。妻に教わった店を、私も、自転車で何時間もかけて駈けずり回った。あれがない、これがない、キノコ類はあの店、果物はあそこ、肉類は何曜日が特価の日、卵の日は何曜日、魚は何円位なら買うべし、無塩せきの物は生協で、GMOの物は買わない、小麦粉は北海道産の物を使う、放射能に汚染されている可能性のある産地の物は買わない。ネオニコやグリホサートを使用している物は買わない、米は低農薬の有機栽培の物を使う、できる限りオーガニック食材を使う事等々、今まで、ニュースなどで聞いて頭では知ってはいたが、それほど切実感はなかった。その食の大切さに気づいたことは、いささか遅すぎるけれど、ありがたいことである。そして、良い物が安く買えたときの喜びを知った。人混みは疲れるが、色とりどりの物品が見られる、買い物も又楽しい。
妻が妻の祖母から(なぜか母からではないが)受け継いだ料理を教えてもらい作るのも楽しい。毎朝、息子のために作る弁当も、息子の血となり肉となることを思えば、あれこれ考えて作るのが楽しい。骨に良い食べ物のレシピを研究して、妻の知らない新しい料理を作るのも楽しいものである。それを美味しそうに食べてくれると、尚、楽しくなる。
手術までの一ヵ月半が過ぎ、家事にもだいぶ慣れてきたが、手術後の入院40日余りの間は、何から何まで自分一人でしなければならなくなり、9月に予定していた個展開催は不可能になってしまった。仕方がないので、個展は12月に延期することにして、家事に専念したのであった。
その間に、私は肉が落ち、痩せて、疲れはて、いつもフラフラするようになってしまったが、しかし、まっとうな人間に生まれ変わったような気がしている。家事が少しでも出来るという事が、こんなに人間としての充実感をもたらすとは、私には発見であった。毎日の、単純な、繰り返しが生きることなのだ。
主婦と主夫に乾杯!

家事がすべての芸術を支えているのだ!
病気をしてくれた妻と、家事の出来ない我儘な息子に乾杯!
(2019年10月・会員つうしん第164号掲載)

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