貧しい庭
- harunokasoilibrary
- 6月25日
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毎朝早起きして、ベランダで飼っている数十匹のメダカに餌をやり、草木や野菜に水をやる事が私の日課である。早起きかどうかは知らないが、何時に寝ようが、ほぼ決まって6時頃に目が覚める。目が覚めたら布団の上で腕立て伏せを数十回ほどしてからトイレをすませ、手を丁寧に洗ってから、寝間着のままで、あちこちのカーテンや窓を開ける。顔を洗い、歯を磨くのは食事の後である。スクワットを60回してからベランダに出て、大きく大気を吸い込んで吐き、空の様子をながめてから、かならずそうするわけではないが、大体そうしていると思う。メダカや草木の様子を観察し、その健康状態を診察し、異常がない事を確かめつつ、水をやり、餌をやる。家族の者は、たいてい、まだグースカ眠っている。
広大なベランダは、と書いたところで思い出したことがある。母がまだ生きて施設に入っていたころ、私は毎日、母に電話をする事が日課であったが、この狭いベランダのことを「広大な我が農園では貧弱なキュウリが一本獲れました」などと冗談を言って笑わしたものであった。こんなつまらない冗談を心から笑ってくれるのは、母だけであった。「我が農園は広大すぎて、歩くときは、蟹のように横歩きしなければならないのです」といっても母は大笑いしていた。こんな母が強度の認知症だとはとても思えなかった。

メダカに餌をやっていて、ふと、思い出すことがある。母の遺骨を薬研で粉にして、あちこちに散骨したのだが、薬研で粉にするとき飛び散った遺骨を丁寧に集めて、その一部をメダカにやった、はたしてメダカは、かぶりつくようにガツガツと食べたのである。よほど美味しかったのであろうか。母が亡くなってからもうすぐ四年半、メダカは世代から世代へと母の命を受け継いで生きつづけている。私は時どき、母がメダカに変身して、広大な我が農園を横歩きにあくせく動きまわっている私を見て大笑いしているように思う時がある。もちろん、粉にした遺骨の一部はベランダの草花にも肥料のようにまいてやった。草花は喜んだだろうか。それは分からないが、草花たちも母の命を受け継いで、生き生きと咲いたり枯れたりしている。広大な狭いベランダ農園を笑ってくれた母は、草花やメダカになって私と一緒に毎日生きつづけているように思われる。
先日の台風でベランダはめちゃくちゃに破壊されたが、今は、メダカも草花も何もなかったかのように生き生きと生きている。
この貧弱なベランダを見ていると、そこにあるすべてが自分の延長線上にある自分の姿のように思われる。心の貧しさも、頭の悪さも、器の大きさも、すべてがそのままそこに表されているのではないか、と思うときがある。
昨日まで何ともなかったように見えていたピーマンに、今朝、カビのようなものがはえ、元気なく、しなだれている。私は慌てて薬を撒いた。これが自分なのだ。私は命と共に生きてはいない。母と共にも生きてはいない。自分のことにばかりかまけて、他者に対して少しも優しくない。だから、予想もしない時に、メダカは死に、花は枯れ、病気になってしまうのだ。
豊かさとは何だろう。
それは、花びらの一枚一枚、葉の一葉一葉、メダカの一匹一匹の姿に現れるものではないか。
愛というものがあるならば、それは、花びらの一枚一枚、葉の一葉一葉、メダカの一匹一匹の姿に現れるものではないか。

私の育てている草花やメダカに私のすべてが表れている。
精一杯世話をしているだろうか。手を抜いているのではないか。忙しさにかまけて合理化しているのではないか。小さな生き物だ、などと軽んじているのではないか。
自然は人工の中で、問いかけている。君は貧しくないか?と。卑しくはないか?と。怠惰ではないか?と。
私は日課をやり遂げながら、ふと、貧弱な自分の姿をそこに見つけて、哀しくなる時がたびたびある。この齢まで何をしてきたのだろうか、と自分が情けなく、とても醜いと思う時がある。凡夫なのだから、どうしょうもないのだ、と妥協していいのだろうか。精一杯生きてきたのだ、と過去を肯定して良いのだろうか。
母の命を受け継いだ草花やメダカたちは、無言で私を見つめ、母のように優しく微笑んでいる。
「充分あなたは豊かですよ!」
「自信を持って!」
「苦しまないで!」
と、私を励ましてくれる母の声が聴こえるようだ。
子供のころのように。
(2018年10月・会員つうしん第158号掲載)

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