芸術と美
- harunokasoilibrary
- 4月21日
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更新日:6月1日
「美しく正しい文字」ということばを新聞の広告や習字のテキストなどでたまに目にすることがある。それがどのような意味で使われているのかは、それぞれの使用者によって、微妙な、または大きな差異があるのかないのか、何れにせよこのことばには何か嘘うそしい臭いが付きまとう。「美しく正しい言葉」や「美しく正しい姿勢」も同様である。
「美しい」「正しい」ということばには素直に呑みこめない何か喉につっかえるものがある。それは私が生来の天邪鬼(あまのじゃく)だからであろうか。
それはともかく、「美しい」とはどのような意味であろうか。
瑞瑞(みずみず)しい花のなんと美しいことか。その一片(ひとひら)の花弁の形と色、精妙な細工の蕊(しべ)、規則正しく並ぶ花序や葉序、その深遠なる幾何学の美しさは妙である。花だけでなく、銀河からミクロの世界まで自然は限りない美しさで満ち溢れている。
四季それぞれの草木に、鳥や動物や虫に、山や川や海に、空や雲や雪や雨や風に、そして星や月や太陽にも、人間は日本人だけでなく、それぞれの人種や民族特有の感性で美しさを感じてきたであろう。
自然だけではない。クレオパトラも楊貴妃も、その容姿は国を亡ぼすほどに美しかったのであろう。人は、今も昔も、容姿端麗な男女にあこがれ、綺麗な人は羨望の的である。
街を歩けば洒落たブティックにニューモードの美しいドレスが掛かり、ショーウインドーの商品はどれもこれも美しい。和服や洋服の模様やデザインは綺麗で見飽きることがない。きらきらし宝石の色も形も独り占めしたいくらいに美しい。生菓子も干菓子も可憐な花のようだ。和食や洋食だけでなく、どの国の料理もそれぞれの民族の美しい器に調和した赤や緑の食べ物のなんと美味しいことであろうか。家具や車の形も色も、欲望を際限なくかり立てるほど美しく魅惑的である。人間の造った城や住居(すまい)や橋は、智の結晶である。それは今も昔も美しく輝いている。
物を加工する工具類や、食器やスプーンや箸は使い勝手のいい機能的な形が美しい。人間がさまざまなシーンで使う道具は、物をつくるための道具にしろ、生活するために使う道具にしろ、人によって好悪の差はあるだろうが、美しいものが多い。いや、すべてそれなりに美しいと言ってもいいかもしれない。
このような生活シーンにある多くの物は、それぞれ使用目的のはっきりした物である。それらは使用目的を出来るだけ完璧に実現しなければならないし、それを実現することでそれは完成するのである。美しいプリント柄のドレスは、それを着る人を引き立て、自尊心の満足と他の関心を引く目的を達成することで完結するのであろうか。人間は身のまわりを美しく飾ろうとする生き物のようである。人間世界は美術品で溢れかえっている。
これらの美しい物は、いま述べたように使用目的を実現することで完成する。それ以上でも以下でもないのである。
しかし、芸術作品に完成はない。芸術には使用目的などないからである。
レンブラントもゴッホもセザンヌも偉大な芸術家であり画家であるが、しかしかれらは美しいものを描こうと思ったのではない。レンブラントは人間の真実を凝視(みつめ)続けたのである。依頼された肖像画を綺麗に仕上げず、あるがままの人間を描いたため不評を買って乞食どうぜんに身を落とし、零落のうちに世を去った。ゴッホもまた人生の真実を、生きる悲しみやよろこびを描き、凝視(みつめ)、人びとの幸福を祈り続けたのである。そして貧窮と病と絶望のうちに自ら命を絶った。セザンヌも色や形を綺麗に配置して美しい構図を実現するために描いたのではなく、描くことが宇宙の真理を探し続けることだったのである。周りから狂人のように思われ、屈辱的な扱いをうけ、過小評価されながら、孤独のなかで最期まで絵を描き通したのである。真理は常に新しく、かれらは限りなく真理に近づきながらも、かれらの作品に完成ということはない。
かれらは偉大な宗教家や科学者と同じように宇宙の根本原理や普遍的真理を探し続けたのであり、身や壁を飾るための美しい装飾品作りを天職としたのではない。
かれらにはこの世のすべてが興味尽きないものであったに違いない。なぜなら、かれらにとって最も大事な問題である真理や真実がそこにあるからである。多くの人間は嫌悪するものを遠ざけ隠そうとする。病や老いや死や汚いものや醜いものに出来る限りふたをして見ないようにする。しかし、かれら偉大な芸術家には森羅万象が美であった。美の反対が醜であるといったような単純な常識とは無縁であったであろう。かれらにとって大切なことは「誠実」であることであり、嘘を描かないことであり、現実を理解することであったと、私は思う。

美についてのロダンの言葉を引用しよう。
「美とは、芸術においては、強く表現された真の事に過ぎない・・・真を強く、深く表現する事に成功したら、その作品は美です。これより外にそれを判断する道はない。」「現実生活の絶対真よりほか真に美しいものはない!」 (『ロダンの言葉抄』岩波文庫より)
色や形や音を巧みに構成するだけの、真実とは無縁なアーチストが氾濫するこの世界で、真の芸術作品に出合うのは至難なことであるが、かつて確かに、偉大な真の芸術家が幾人かはいたということが、我われ人間にとって少しは救いになるであろうか。
(2007年10月・会員つうしん第92号掲載)

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