新春偶感
- harunokasoilibrary
- 2月21日
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更新日:6月1日
北風が、散り残った木の葉を一枚一枚もぎとり始めたころ風フウ信子シンシ(ヒヤシンスの異名)の球根を買ってきて水栽培用の透明な小さなガラスの容器にのせて栽培し始めた。赤紫と黄色の花が咲く予定である。不思議な自然の手が人間の知覚では捕えることができない微速度で少しずつ精巧な細工をして花のかんざしを作っていくことだろう。私は毎日朝起きると、手間暇をかけてゆっくり休むことなく働きつづけている風信子に「おはよう」とあいさつする。
幾日すぎただろう。純白の清らかな根がガラスの容器の中いっぱいに広がり萌黄色の堅くひきしまってつややかな芽が猛獣のきばのようにニョキッと出てきた。
私はその自然の造化の見事さ、全体はもちろんどんな細部にも手をぬくことのない細心の心づかいと愛情の深さに少年のころ毎日のように感じた驚きを再び感じたことに震えるような喜びを覚えた。もちろん信仰心など露ほどもない私であるが何者かが私に小さな草花を介して真理を指し示してくれているように感じるのはどういうことなのだろうか。地上に美しく咲く花だけを見ていてはいけない。目に見えない土の下には純白の無数の根が無限の彼方からやってきた養分を吸い上げ、同化して花の香りで人びとを楽しませ幸福にする使命を果たしているのだ。そして咲いて枯れてしまった草花は様ざまな物質に分解されて無限の彼方へ溶けこんでふたたび新しい命に生まれかわるのだ。
美しい文字は、地上に咲いた花のようなもの。美しい文字が生まれるためには無数の根を豊かな先人たちの土壌の中に張らねばならない。純白の根のような心で無心に養分を吸収しなければならない。小さく偉大な風信子は新しい季節がそこまで来ていることを知らせてくれるだろう。そして春の楽しさと優しさを教えてくれるだろう。しかし忘れてはいけない。すべてが凍りつき色あせる季節にも休むことなくゆっくり働きつづけている純白の根のあることを。
(1998年1月・会員つうしん第31号掲載)


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