へぼ先生
- harunokasoilibrary
- 3月16日
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更新日:6月1日
今日まで、多くの人と書を学び、覚えてきて、気になることがいくつかある。
そのひとつは、上達しなかった人が多かったことである。上達しなかっただけでなく何年間も習った挙句挫折して、時間と、お金も無駄にした人が多かった。
礼儀正しい(?)日本人は、本心を言わない人が多いので、はっきり分からないが、何年経っても上達しないのは、こんなへぼ先生に就いて習っているからだと、止めた人もあっただろう。へぼ先生!それはたしかにそうだと私も思う。それはそうだとしても、途中で挫折したり、いつまで経っても上達しないのは、習う側にも原因があることも多いだろう。しかし、今はそのことについて詳しく考察しない。
ところで、吉田兼好(けんこう)は、上達の秘訣(ひけつ)について、数数思索したようだ。次に、彼が14世紀半ば頃書いたと伝えられている「徒然草(つれづれぐさ)」の第150段を引用してみよう。
能を付(つ)かむとする人、「よくせざらむほどは、なまじゐに人に知られじ。うちうちよく習(ならい)得(え)、さし出でたらむこそ、心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。未(いま)だ堅固(けんご)かたほなるより、上手の中に交(まじ)りて、譏(そし)り笑はるヽにも恥ぢず、つれなく過ぎてたしなむ人、天性其骨(そのこつ)なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能(かんのう)のたしなまざるよりは、つゐに上手の位(くらい)に至り、徳(とく)闌(た)け、人に許されて、並びなき名を得(う)る事なり。天下の物(もの)の上手といへども、はじめは不堪(ふかん)の聞えもあり、無下の瑕瑾(かきん)もありき。されども、その人、道の掟(おきて)正しく、是(これ)を重くして、放埓(ほうらつ)せざれば、世の博士(はかせ)にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。
(『新日本古典文学大系39』岩波書店)
これを私流に勝手に読んでみると、次のようになる。
ある技能を身に付けようとする時、「うまくならないうちは、習っていると人に知られないようにしよう。内内でよく習得してから人前に出るのが奥ゆかしいであろう」このように考えている人は、一芸も身に付けることはできない。未熟な頃から上手な人の中に交じって誹(そし)られ笑われても恥ずかしがらずに何を言われても気にしないで努力する人は、生まれつきの素質がなくても、停滞することなく、いいかげんにしないで、長年稽古を積んでいけば、才能はあるけれども努力しない人よりは、最後には上手の境地に至り、他人に名人と認められて、世間に並ぶ者のない名声を得る。天下の名人といわれる人も、初めは未熟であると言われ、ひどい欠点もあった。しかし、その人は、その芸道のきまりを正しく守り、勝手気ままに振舞わなかったので、世間における指導者となった。これはあらゆる芸道に共通することである。
この段で兼好は「未熟なうちから恥ずかしがらずに上手な人の中に交じって努力を続けること」を上達の秘訣として述べている。
兼好は真理を述べていると私は思う。私のところで、上達しなかった人や挫折した多くの人のことを思い返してみると、兼好の述べていることが、真理であると私には思える。それらの人の多くは、私が創作を勧めても、書展への出品を勧めても、臆病な人が、なかなかプールに飛び込まないように、もっともらしい言い訳をして、せっかくのチャンスを逃してきた人たちであった。じれったくなって高い所から突落してみた人もあったが、その後その突落された人が自ら飛び込むことは稀であった。
スポーツでは、一つの技(わざ)を会得するためには一万回から二万回の反復練習が必要だとされているらしい。しかし、ただ、反復すれば上達するというのではない。漫然と回数を重ねるのではなく、最も重要な基本技を、集中的に、目的を明確にして、目的意識的に反復練習するのでなければ上達は覚束ない。勿論、スポーツと芸術(芸能)とは同じではないが、このことは、書の基本練習にも当てはまることである。例えば、基本点画の筆づかいは勿論、半紙に何文字かをうまく構成できるようになるためには、二万枚もしくは二万回は反復練習しなければならないということだ。このような基本練習を続けながら上手な人の中に交じって本格的なさまざまな技を学びとっていくことが技を身に付けるための秘訣なのである。
上達し、技能を身に付けるために自ら入門してきて、上達せず挫折していった人たちを正しい上達の道へ案内できなかった私は、へぼ先生であった。しかし、初心の目的を忘れたのは、これらの人たちである。が、それを忘れるべからずと強く戒めなかった私は、やはりへぼ先生である。しかし、学びとる主体は自己だ。先生のせいにばかりされたんではたまらない。でも、それを自覚させ得なかった私は、やはりへぼであった。どこまでいっても私はへぼ先生のようだ。へぼ先生からはへぼ弟子しか育たないのだろうか。
(2002年9月・会員つうしん第62号掲載)


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