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花泥棒

  • harunokasoilibrary
  • 4月19日
  • 読了時間: 4分

更新日:6月1日

 道に咲いている草花やきれいな花のある木の枝や畑の花をことわりもなくきりとって母の愛用の花瓶に活けるのが私の大切な仕事の一つである。近頃、桜の枝を折って警察に捕まった人があるという話を聞いたけれども、世間の法律やルールを私は知らない。捕まったところでそれがどうしたと言うのか。花は母に描かれるために咲いているのだと私は思っているのだ。きれいな花を見た時の母の喜ぶ顔を、いかなる立派な法律であっても破壊することは出来ないのである。法は母の喜ぶ顔のために作られねばならないと私は考えている。そうでないような、権利や義務ばかり主張するような法は無視することに私は決めている。それで世間からつまはじきにされても仕方がない事だとも思っている。

 

 母の物忘れがひどくなって来たのはいつ頃からであったか。今では、昨日自分が書いた作品さえ覚えていなのである。

何人かの人が母の言動を怪しんで、その異常さをそっと私に知らせてくれた。それまで私は何か変だと思いながら何も見ていなかったのである。そして深刻な事態が進行している事にも気付いてはいなかった。

 私は訳の分からないことを言う母を大声で罵(ののし)った。「なんで洗い物をこんなにためるのか」「洗おうと思ってたところです」「水切りネットをなんで使わんのや。排水管が詰まったらどうするのや。ゴミがヘドロのようになってるやないか」「そんなはずがない」「見れば分かるやろ、何週間も洗い物をためてるやないか」「にさんにち洗わなかったらそうなるのや」「アホかいな、これは何ヶ月もほったらかしてたんやろ」「そんな事するはずがないです」「なんで洗濯した物をこんなとこにいつまでも置いとくんや。足の踏み場もないやんか」「いちいちうるさいなあ、ほっといてくれるか」「きれいに暮らしたいと思わないのか」「誰も来ないからいいのや」「そういう問題やない。人がどうのとかじゃなく、自分自身の生きかたの問題じゃないのか」「めんどくさいな!うるさいな!」「ホームレスの家みたいや!こんなとこにいたら気が変になるわ。人前では体裁ばかり気にして、中身は真っ黒なんか」「何が言いたいのや。しんどい人やなあ。さっさと帰りなさい。鬼か」「何やこの荷物は」「なんか重いなあ」「何か届いても受け取らないように言っといたやろ」「届いたんやから受け取ったらいいやろ」「かってに注文して、借金の山やのに何言ってんのや」「誰が借金なんかした。借金なんかしてへんわ」「何やて。解約したり返済したり僕がどんな思いしてるか何も感じていないのやな。情け無いわ」「誰が借金なんかしてる!」「ああ!もういい!」

 事態を何も理解できていなかった私は哀れな母に罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせ続けた。ひとりになって自分のあまりにも情けのない恐ろしさに何度もぞーとした。その度にいつも反省するのだが、また違う問題で私は混乱し大声を張り上げ母を苦しめるのであった。母は何もかもめんどうになって、日がな一日ボーと過ごしているようである。生きる屍である。

 「こんなに苦労して恥ずかしい思いをして花を盗ってきたのに何で描かへんのか」「わたしは描きたくない時は描かへんのや」「せっかくの花が枯れてしまうやんか」「描くときには描く」「あなたは花なんか少しも愛していない。花が可哀想と思わないのか」「描きたくない時は描かへん!」「分かった!もう二度と花をとって来たりしない!花があまりにも可哀想やから」私は母を理解せずに罵(ののし)ってばかりいた。

 

 救いはある。朝になったら母は罵(ののし)られたことも何もかも忘れてしまって、明るい優しい声で「おはようございます」とほんとうに嬉しそうに、私の電話に答えてくれるのである。記憶がないのだろうか。ないとしか思えない。どんな事があってもやはり、母にとって私は、うるさいが優しい一人息子なのだろうか。母の記憶から、近い将来私の記憶も消えてなくなるのかも知れないけれど、どこまでも私は母に救われつづけるであろう。

 



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 山のように盗んできた菜の花があまり絵に描かれなかったので、京都より少し遅れて咲く信州の農場に頼んで菜の花を送ってもらった。今度も私は何やかやとうるさく言ったけれど、母はそんなことには無頓着のように静かにせっせと絵を描いていた。金色の花に包まれて無心にそれを描いている母の姿を少し離れて見ていると、それは何とも神々しいものに思われたけれど、絵に描いてから何日も経ってミイラのようになってしまったこげ茶色のつくしを可哀想だといって、私がそれを捨てるまでいつまでも捨てずに撫でるようにながめている母の姿は、やはり気のふれた人の姿のようでもある。

 母の心の裡(なか)で何がおこっているのか私には知るよしも無いが、私は世界中の花を盗んででも母にいつまでも絵を描いてもらうつもりである。

 

「人生の悲劇の第一幕は親子となったことにはじまっている」 芥川龍之介「侏儒の言葉」より。

 

(2007年4月・会員つうしん第89号掲載)

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