線幻想
- harunokasoilibrary
- 4月28日
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更新日:5月31日
①造化の線
画家の村上華岳(かがく)は、東洋画において線が最も大切である、線は宇宙の心だ。画家も書家も「線の行者」でなければならないと言っている。

華岳の線は、苦悩する炎のように、天に向かって、岩山の肌や、茂る松の樹に姿を変え、めらめらと、からまりあい、交差しながら上昇する。その線は、空と山と樹木それぞれの存在を明確にすると同時に、それぞれが存在することによって他の存在を際立たせる不思議な線である。山が一本の線で描かれると、果てしなく深い空が出現し、激しくもだえるような樹幹が描かれると、岩山が聳(そび)え立つのだ。それは世界を分離する線ではなく、有りとし有るものを融合する線である。
多くの人には、空は空、山は山、樹は樹でしかないであろう。空と山と樹を分けているものは何か。人はそれらをなぜ別の物と考えるのであろうか。山や樹の表面に線などはないが、人はそれぞれを区別し、名付け、認識し、線を引く。人と人、家と家、国と国の間に線を引き、分離することで争い、かつ安心もするのである。我われは何万年もそのように暮らしてきた。
華岳の山水画は線の集合画のようである。そこに岩山や樹が描かれていることは誰の目にも明らかだが、それらは、山や樹の姿を借りて「線」を表現しているのだ。と、ぼくは思う。その線は華岳の心であり、華岳その人である。華岳が山や樹なのか、山や樹が華岳なのか区別がつかない。山も樹も華岳も一体になった宇宙の心である。
一本の線に自己のすべてをのせて、軽やかに、よどみなく、また火砕流のように激しく、強力に描かれたそれらの燃え上がる山水画は、瞑想(めいそう)する湖のように静寂である。これを造化の妙というのであろうか。
②法悦の線
言葉は、なかなか象(かたち)にならない。愛という言葉を何百何千書いても、何かしっくりこない。象にしたとたん、それは、砂のように指の隙間(すきま)から、深い闇の中に落ちて行く。世界を見渡しても、歴史をさかのぼってみても、愛の言葉は、あまたあるが、本当の愛の象を見つけることは出来なかった。愛はいかなる方法をもってしても表現出来るものではないのかもしれない。

良寛の書が残っている。その、折鶴蘭(おりづるらん)のランナーのように、細く優しく勁(つよ)い線には、独特のリズムと強弱と緩急があり、澄み切ったメロディーが、やわらかい雲の中を漂っているようである。その濁りのない線は、浄穢不二(じょうえふに)を達観した、良寛の心の姿ではないだろうか。それは、ただの、書かれた言葉に過ぎないが、幻滅と哀しみの果てにたどりついた、良寛の法悦の姿である。と、ぼくは思う。
良寛の心は、悲しみと汚濁に満ちた世界から遁(のが)れてはいない。裏と表を見せて散る木の葉をみつめる良寛の心には、世界の真実と美がはちきれんばかりに溢(あふ)れていたのではないだろうか。 愛は求めて得られるものではなく、向こうから訪れるものであることを、良寛は知っていたに違いない。良寛の線に耳を傾けると、愛の訪れに、陶酔しきった良寛の、悦びの残響が聴こえてくるようだ。その線は、愛ではないが、闇の中から、ほんの一瞬訪れた愛と一緒に、今ここに生きている悦びと、森羅万象のハーモニーを、恍惚(こうこつ)として書き残した人が、かつて、確かに、この地上にいたことを証してくれる。その線は、現世への限りない執着と慈しみを表している。それはあたかも、愛が、良寛の手と心をかりて、線を書いたかのようでもある。
③生命の線

ぎしぎしと捻(ねじ)れ、節くれだち、八方に腕を伸ばし、うねりながら上昇する樹幹の前で、ぼくは言葉を失って、いつまでも立ちすくんでいた。それはまるで、黒光りし、ささくれだち、黙黙と生長する、巨大な線のようでもあった。
樹の姿ほど神神しいものはない。樹はどれも美しい。人体の血管か神経のように土に根を張り、空に枝を伸ばす樹は、目に見えない力と均衡を保って、閑(しずか)に立っている。
アボリジニの画家エミリー・カーメ・ウングワレーの線は、自然への、畏敬(いけい)と信頼の線である。それは、あこがれと喜びでかすかに顫動(せんどう)しながら、この上なく豊饒(ほうじょう)で逞しい、エネルギーの塊のような線である。網目や不規則なストライプのその線からは、繊細な旋律ではなく、心の深いところで響いている、懐かしい荒削りの調べが聴こえて来るようであり、線が楽しく踊っているようでもある。
栽培していた野菜の収穫を終え、新しい種を蒔(ま)くためにプランターの土を掘りかえしていたら、ウングワレーの絵がそこにあった。黒い土の中に真っ白な根が生き生きと輝いていたのである。網のような彼女の線は、絡まり合い、枝分かれしたヤムイモの根やツルであった。しかしそれは、ツルや根を写したものではなく、ツルや根によって象徴される生命(いのち)への畏れを描いたのだ。と、ぼくは思う。彼女の名前のカーメとは「ヤムイモ」の種のことらしい。

人工的なものに包囲されている我われは、「生きるとは殺すことである」という生命の真実を忘れているようだ。他の生命を殺してしか生きることの出来ない、生命の宿命を自覚したとき、自ら、自己のために犠牲になった生命に対する畏敬の想いが生まれるのではないだろうか。
④根源の線

サッシの曇りガラス一面に、幼い息子が、鉛筆やコンテで落書した跡が残っている。2歳から5歳頃までに、線だけで描かれたものだ。何度も拭かれ薄くなったその上に、彼は毎日のように車や文字を描いたので、線が何層にも重なって、幻想的で深い空間をつくっている。それを眺めていると、ぼくには、それらが線の地層のように感じられ、その失われた生の痕跡に、線を発見したばかりの、生き生きとした幼子の姿が、髣髴(ほうふつ)として浮かび上がり、不思議な感慨を覚えたりもする。
吾子が、初めてペンを持ち、なぐり書きした1歳から3歳までの紙片には、初めから線だけが描かれている。2歳半ころまで同じようななぐり書きがつづいているが、3歳近くなったころ、急に物の形が現れ、最後に、ぼくの顔で終わっている。線は、まるで、本能のように、初めから、彼の中に在ったかのようである。
人類は線をいつ頃手に入れたのであろうか。 南アフリカのブロンボス洞窟(どうくつ)で人類最古の線が発見された。粘土に刻まれた幾何学模様である。約7万7千年前の物らしい。フランスのキュサック洞窟の、約3~4万年前の壁画には、動物や女性の姿などが線で刻まれている。その線は、一回で形を決めており、描き直しの跡がない。それらを描いた人は、対象をすみずみまで知悉(ちしつ)していたに違いない。それらは、人間にとって、なくてはならないものであったのであろう。それは子供の落書のようなものではなく、全霊で、祈るように刻まれた、心の軌跡なのであろう。 それはそうだとしても、幼い吾子が、枝で大地に刻みつけた線には、何か、根源的な力があり、人類にも、子供のような落書時代があったにちがいないと、ぼくは夢想する。

(2008年7月「しんぶん赤旗・近畿版『近畿の散歩道』」連載(図版以外)・会員つうしん第97・98号掲載)

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