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開花

  • harunokasoilibrary
  • 4月13日
  • 読了時間: 4分

更新日:6月1日

 川は靜かに流れ、波紋は規則正しい模様を描いていた。水は物憂げであったが、しかし浅瀬では楽しげにきらきら輝いていた。川辺の柳の枝が微かな風にそよぎ、そのしなやかな体は、この上ない曲線を描いていた。その枝の上で、まだ小さな淡緑(うすみどり)の葉っぱ達が、子どものように踊っていた。

 昨日まで、雪まじりの冷たい雨が降り、凍えるような北風が吹いていたが、春は突然やって来た。あちこちで花が咲き始め、暖かい南風(みなみかぜ)がまたたく間に人びとの暗い外套をたたんでいった。人びとの顔は咲き乱れる花の色に染まったかのように明るくほころび潤っていた。

 

 寒い冬のあいだ、私の凍りついた心を温めてくれた真赤な山茶花は、もう今はない。黒い葉群(はむら)の中で、つぎつぎに開花して私を楽しませてくれた山茶花は見るも無残な姿になって朽ち果ててしまった。白梅や紅梅はどこへ行ってしまったのだろう。木瓜(ぼけ)も椿も海棠もどこへ行ってしまったのか。その美しい花のことを私はもう忘れかけている。

 

 苦しい道程(みちのり)にいつも花は咲いていた。私にはなぜだか解らないが、花には心を浄化する力がある。その姿を見つめる私は無心である。 

 

 花は自分の美しさを誇ったりはしない。美しく咲こうなどとも思うわけがない。誰かに観てもらおうなんて考える筈もない。莟(つぼ)みのまま固まってしまっても悲しいなんて感じるわけがない。千切られてかんざしにされても苦しむこともない。花はただ咲いているだけである。花には「私」がない。だから花は美しいのだろう。

 

 花がいくら美しく咲いても私たち人間の悲しみは果てしなく続いていく。花が美しく咲けば咲くほど私たちの愚かさが際立って見える。花を観るために行列をなす私たちはどんなに着飾っても醜く哀れである。世界は日に日にどうしようもなく混乱し、何かとんでもない破局に向かって突き進んでいるのに、私たちは桜に酔いしれている。

 

 古代から私たちは花を愛で、歌ってもきた。しかし、私たちの醜い争いはひと時たりとも止んだことがない。私たちは花を都合よく利用しただけで花の本当の意味を理解しなかったのではないだろうか。今も華道とか生け花だとか花人だとか称して花を利用している人間がいるが、かれらは美しい花に触れても、自己の美学に囚われ、権威におもね、自己を宣伝することに忙しい。そして花の本当の意味を知らない。

 

 

 何年も前に依頼された作品があった。西行の歌を書いて欲しいとの事であった。依頼者は私の作品に深い理解のある人のように私には感じられたので、私は嬉しく引き受ける事にした。私は西行をよく知らなかったので、西行の歌を全て読み、よく知られている評伝や小説を調べることから始めた。すぐ書けると思っていたが、瞬く間に一年が過ぎた。

 しかし読めば読むほど私は西行嫌いになっていった。嫌いなものはどうしても書けない。なぜ嫌いになったのか何度も考えた。小説や評伝を書いている著名な人間が私には気に入らなかった。それが書けない大きな理由だろうとも考えたが、そうではなかった。日本的な花鳥風月や和歌が気に入らなかったのだ。この日本の伝統は私の無意識のそこに否応なしにこびり付いている。そのような私も含めて、西行その人が嫌いだったのである。依頼を断りもせず鬱鬱(うつうつ)とまた一年が過ぎていった。そのうちに依頼者も諦めるだろうと想っている心の中(うち)に依頼者の切実な依頼の気持ちが本当であることを願ってもいた。また一年が過ぎた頃、礼儀正しく温かい言葉で真心のこもった依頼の催促があった。私はほっとした。そして何が何でも書きあげようと決心した。どんなにたくさんの知識があっても西行が解るわけがないであろう。知識で人間は理解できないであろう。それで、調べた全ての知識や先入観を出来る限り忘れることにした。

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 「春風の花を散らすと見る夢はさめても胸のさわぐなりけり」が依頼された歌であった。

それは西行の好きな桜の花を歌っていた。

 

 一人の取るに足りない人間西行の不安、執着、恐怖、悲しみを書くしかない。あるがままの愚かな西行を書くしかない。それは私そのものでもある。悲しみや恐怖を避けるのではなく、あの美しい花たちのようにそれを開花させるのだ。花開けばそれは桜のようにあとかたもなく綺麗に散ってしまうであろう。悲しみを開花させることによってしか悲しみのない世界は実現できないであろう。

 

 私はこの作品を制作することによって開花の本当の意味に気づいた。西行もこの歌を詠むことによってそれに気づいたかもしれない。

(2006年4月・会員つうしん第83号掲載)

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