希望
- harunokasoilibrary
- 3月6日
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更新日:6月1日
ぼくのような悲観的な者が、希望について語る資格はないかもしれません。しかし誰よりも希望を希求していることもまた事実なのです。本当の力強い希望をぼくは希求しています。希望をもって明るく生きていくことこそ最も人間的な生き方でしょう。
少年の頃、ぼくの心は希望に満ちあふれていました。ぼくは希望で造られていたといってもよいくらいでした。希望は心に入りきれず、あふれ出てあたり一面にこぼれ、ぼくの全身は、あふれ出た希望の光で輝いていました。子どもなりに苦しいことも多く、悲しいことも度度おこったのですが、希望は大きく大きく膨らむばかりでした。現実の重みに押しつぶされそうなときでも、希望は形を変えてその重みに耐え、その重みを押しのけてさらに力強く大きく膨らんでいくのでした。希望はいたる所にありました。どこまでも深い大空や茫洋(ぼうよう)とした大海原にあるだけでなく、目に見えないような小さな世界にも希望はあふれていました。春の木の、新芽の先に、目にしみるような若緑の草の葉に、こぼれる露玉の透明な光に、赤い可愛らしい食べたくなるような木の実の一粒一粒に、暖かく心に灯をともすような紅や黄の落ち葉に、ボタン雪の結晶の幾何学模様に、岩のすきまで見つけた水晶の透き通った汚れない光に、また早朝の光の中にも、夜のしじまにも、小鳥の囀りにも、そして、雨も雲も霧も、雷さえも、ぼくには謎に満ちた驚きと不思議の世界であり、その世界に共に生きているそのことが、躰(からだ)が打ち震えるくらい歓びに満ちた希望そのものであったのです。空気の中にも、池の一掬(ひとすく)いの水の中にさえ目に見えないけれど数限りない、奇妙で美しい姿をした生き物たちが、ぼくと共にこの地球に生きているのだと、ぼくはいつも感じて生きていました。そのことが不思議であり、何処からやってくるのか分からない歓びの気持ちをぼくは常に全身に感じて歩いていたのでした。ぼくは折にふれて思い出します。荒れ地の草むらの中を、バッタになったつもりで、ピョンピョン跳びはねたことを。なんて豊かな草むらだったことでしょう。小川は、大小さまざまな魚や虫たちの小宇宙でした。蛇は、石垣の上で昼寝をし、堆肥の中のミミズはまるまると太り、紫雲英(れんげそう)の根粒菌がミミズといっしょに土を耕していました。水田の中では異星人のようなツリガネムシが人知れず、水と戯れていました。
海はいつも、ぼくの中で満ちたり干(ひ)いたりしていました。潮風と磯の香り、終わりのない波のリフレイン。風と光と大空に包まれて水平線の彼方に夢を見ることは、希望そのものでした。9歳の頃、海に初めて潜って、恐る恐るながめたエメラルド色の水中は、鳥肌立つ恐怖と同時に底知れぬ謎を秘め、ぼくを呼んでいるようでした。ぼくが海に魅せられた始めであり、何か懐かしいようなノスタルジーと希望と生きる歓びを感じたのでした。ぼくは、これらの世界と共に生きていることを歓びと共に感じていたのです。空も雲も雷も嵐でさえも、ぼくにとってはなくてはならない魅力に満ちた胸踊る現実であり希望であったのです。稲わらを燃やす煙のにおいは、ぼくに安らかな気分と未来の希望を約束してくれていました。ああなんて複雑多様で単純な世界だったことでしょう。悲しみは有り余るほどありました。不安は山のようでした。ぼくは一人ぼっちだったように思いますが、独りではありませんでした。何か見知らぬ世界が限りなくあって、一歩あるくたびに、その世界が呼び掛けてくるので、孤独を感じる暇もないのでした。ぼくの心は、電線に鳴る風の音楽のように響き震えていました。希望に充ちて。
現在の人類に希望はあるのでしょうか。希望がもてるでしょうか。私たちは子どもたちに未来の希望を語れるでしょうか。ぼくは作品を書くことを通してこの問題に取り組んでいます。人間の未来というよりも、ぼくの未来といったほうがよいのかもしれませんが。ぼくは、どうしても、ぼくが愛するいとおしいものたち、汚れない子どもたちに希望がもてることを伝えたいのです。そのためには、まずぼくが希望をしっかりともたなければならないと思っています。子どもたちにとっては余計なことかもしれませんが。
ぼくは幼少の頃の希望を忘れて年老いてしまいました。が、しかしかすかな記憶があります。それを頼りにこの老体をまず励まさねばなりません。ぼくにとっての制作とは、そのための道具のようなものです。子どもたちは、ぼくの知ることもできない未来に、想像すらできない希望をもって生きているのかもしれません。ぼくの幼少の頃とはずいぶん社会も自然も変わってしまったように思えるのですが、本当は、それほど変わっていないのかもしれません。変わってしまったのは、ぼくなのかもしれません。ぼくは、ぼくが今の少年たちのように生きいきと生きていた頃に戻ることしか自分を励ますことはできないのかもしれません。そうだとするなら、現代の人工的な物に包囲されて情けなくみえる子どもたちに感謝しなければいけません。ぼくに希望をもつ大切さを身をもって無言で教えてくれているのですから。
次に、武満徹のエッセー「Vita Nova」の中で引用されていたカリール・ギブランの詩の中の一節を記しておきます。
「あなたの子供は、あなたの子供ではない。
彼等は、人生の希望そのものの息子であり娘である。
彼等は、あなたを通してくるが、あなたからくるのではない。
あなたとともにいるが、あなたには屈しない。
あなたは彼等に愛情を与えてもいいが、あなたの考えを与えてはいけない。
何となれば、彼等は彼等自身の考えをもっているからだ。
あなたは、彼等のからだを家に入れてもいいが、彼等の心をあなたの家に入れてはいけない。何故なら、彼等の心は、あなたが訪ねて見ることもできない、夢のなかでさえ訪ねて見ることもできないあしたの家にすんでいるからだ。
あなたは、彼等のようになろうとしてもいいが、彼等をあなたのようにしようとしてはいけない。何故なら、人生はあともどりしなければ、昨日とともにためらいもしないからだ。」
ぼくは、どうしても理解できない未来の人、今9歳の息子にこの地球で出会えたことを心から感謝しています。できるならこの未来の人と何かひとつでも共有して共に生きていければ、こんな嬉しいことはないのですが。これは叶わぬ願いなのかもしれません。
そうそう忘れてはいけないことがありました。それは、ぼくの幼い頃の希望を支えてくれたおとなが、数人いたことです。その人たちは、ぼくが子どものことを思うとき、いつのぼくの心の中に生きつづけています。
(2001年7月・会員つうしん第54号掲載)


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