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2022年書き初め大会感想

  • harunokasoilibrary
  • 7月14日
  • 読了時間: 2分

春野かそい書 年賀1
春野かそい書 年賀1

 「みんな違ってみんな良い」「みんな違ってみんな一緒」の「良い」も「一緒」も単なる言葉に過ぎないけれど、言葉としてはどちらも良い言葉である。言葉に良いも悪いもないのではないか、たしかに、馬鹿、アホんだら、ボケ、カス、死ね、など卑しい下品な言葉ではあるがそれも美しい綺麗な上品な言葉と同じ単なる言葉に過ぎない。言葉は本来ニュートラルな記号なのではないかと僕は思う。

 飛翔したい元気が出る前向きな明るい言葉も希望や未来も再生や復活も、誠も嘘も平和や自由も、美しい綺麗な言葉は美文字とか原理原則を捉えた見事な書字と同じである、それらは単なる記号に過ぎないのではないか。今までの僕の制作は自然の生命の形からインスパイアされることが多かった。例えば木の枝や年輪の模様や材質、プランクトン等の微生物や細菌、花の蕾や草木の芽や昆虫や蜘蛛、ヒドラや貝、カマキリやバッタ、百足や蟻や風や流れる水や土や炎などなど自然の生命は無尽蔵であった。中でも真っ赤な太陽に生命の本質を見た。

 「白昼に神を視る」という言葉があるが、僕はこのごろ心が疲れた時、よく寝そべって だらしなく口をあいて(脳が空っぽなのか)白昼に白い雲を睨みつけて太陽よ出ろと、祈願すると神通力などとは無縁の僕だが、まん丸い白い太陽がいくつも並んで見えるときがあ

春野かそい書 年賀2
春野かそい書 年賀2

る。思い出してみるとこの白い光は幼児の頃に初めて見た幻覚かも知れないが、これが見えると元気になるから不思議である。これぞ僕には神の姿ではないかと感じられる。墨は黒だが白い太陽の白と同じである。白は黒で、黒は白である。僕の美の基準はこの白い太陽である。それは暖かく力なく色もなく形も定かではなく、自己を主張もせずあらゆる生命を励ます 存在である。多くの出品作がこの黒いまた白い太陽のようであったと僕は感じた。

 僕はいったん自然主義から離れて造形中心のモダニストになったがまたナチュラリストに戻ったようだけど、リアルでもナチュラルでもモダンでも言葉が違うだけで一緒のことだと今考えている。この先どう変わるやら。付き合いきれないね、こんな奴とは!自分を捨てられれば善いのだが、書芸術とは太陽を理想的な存在として無になることかな?


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