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2021年七夕書道大会感想

  • harunokasoilibrary
  • 7月12日
  • 読了時間: 3分

梅雨の早朝、ときおり暗雲の切れ目から覗く澄み切った青空と無数の蝉のシンフォニーが弱い私の生命力の救いだった気がするが、認知症的な今の私の幻聴かも知れない。難しい事は言いたくもないが、どうしても言わねばならないことだけは言っときたいと思う。我慢して読んでいただきたい。馬の耳に念仏にならないことを願うが,本当のところ馬の耳でもロバの耳でも豚に真珠でも私はかまわない。


乱暴に言えば書は造形芸術です。造形芸術は色と形でできています。書は一般にモノトーンですから色はありませんが、線質が絵画の色にあたります。線質には書者の個性や心の澄濁や本質が表れています。線質は書の最も重要なところです。線質には書者の真実が表れます。ただし、線質(真偽)を見分けるのは大変難しい。

日本最初の書論と思われる空海の「遍照(へんじょう)発揮性(はっきしょう)霊集(りょうしゅう)」(性霊集)の中から書についての個所をいくらか見てみましょう。屏風に中国古今の詩人達から秀句を選んで空海に書かせよとの天皇の命令を受け驚いた空海は次のように述べています。自分は禅定三昧に耽り、長いこと書道から離れていますので屏風への揮毫を辞退したいのですが、天皇の命ならばそれもできず、無理して筆を揮って書きました。・・・後漢の蔡邕の「筆論」にいうことには「書というものは散である(胸中の思いを心の外に解き放つものである)」とあります。ですから書は、字形のまとまりだけで、うまく書けたとはしません。・・・書もまた詩と同様に、古人の書の意にならうことをすぐれたことと考えますが、古人の書の形にただ似ていることで、それを上手であるとは考えません。・・・空海は人にすぐれて、精力的でねばり強く柔軟な肉体を持っていた・・・そういう良い条件の身体に恵まれなかったならば、空海の超人的な大きな活動は不可能である。特に手は柔軟で機敏であったにちがいないと思われます。  

 

 『性霊集』から空海の書道観をまとめてみましょう。

1 書の表現は気持ちの解放である。だから字形のまとまりを整えるだけではいけない。

2 心を外界の対象物に遊ばせ、万物と一体になることから生まれた心の感動を、自由に解放するのが書の表現である。

3 書の表現は大自然の生命力の創造作用と同じになるべきである。四季すなわち自然の運行の秩序に運筆の法を則り、天地自然の万物の形象に文字の形勢を似せなくてはいけない。

4 宇宙と人間、万物と心との感応交感による感動から文字は生まれる。

5 古人の書の形をまねるのではなく、古人の書の意をつかみ、他人の模倣ではない、自己の個性的な表現をすべきである。

6 書の表現は、技巧の習塾も大切だが、それ以上に雅趣すなわち芸術的な感興の表現が大切である。

7 書道は非常に奥深いものであり、それをきわめるには、無限の努力をしなくてはいけない。

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(2021年8月・会員つうしん第175号掲載)

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