2018年書き初め大会感想
- harunokasoilibrary
- 6月18日
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同じ字を、同じくずしかたで書いても、十人十色といいますか、作品から受ける雰囲気が

みんな違います。これを個性の違い、といえば良いのでしょうか。そうかも知れませんが、それだけでは、なにか腑(ふ)におちませんねえ。個性は大事かも知れませんが、個性をやかましくいい出したのは、個人主義が一般的になってきた近代からで、人間の歴史の時間で考えれば、ほんの最近の出来事のように思います。圧倒的な時間の堆積物は個性なしです。事物がかならず、進化発展するのなら、個性があることが進歩したことになり、仕方がありませんが、かならずしも、すべてが進化するとはかぎらないかも知れませんから、ことさら、個性、個性とこだわる必要はない、と私は思います。個性にこだわって、だれのまねでもない、自分だけの作品を書こうと思っても良いですが、そんなことはどだい無理なことのように私は思います。
自由に自分の作品をつくる、これは一歩もゆずれません。みなさんは、そのように作品をつくりましたか。そうした、というかたもいるでしょうが、よく分からないかたのほうが多いのではないでしょうか。
それでは、自由につくるとは、どういうことでしょうか。なんの制約もなく、好き勝手につくることでしょうか。そうだとするなら、みなさんのほとんどが、何らかの制約のもとで作品をつくっているでしょうから、不自由につくっていることになりますねえ。
私は、最近、こう思うのですが、それは、小さなころから、青年時代にかけて、それぞれの成長段階で、あこがれる人やものや出来事があって、それらを手本にして、つまり、まねすることで自分は成長してきたのではないだろうか、ということです。そして、そのことは、なにも青年期までのことではなく、いくつになっても、死がそこまでやって来るころまでも、自分の手本になる人やものや出来事は、あるものなのではないかとも思います。それは、ほんとうの自分の作品をつくる人に共通した真実なのではないかとも思います。
ほんとうに自由に自分の作品をつくる人は、いくつになっても、手本になる人やものや出来事をもっていて、その制約のなかで作品をつくる人のことではないかとも思います。なんの制約もない、純粋に自立した、独立独歩の自由な人間なんて、幻想にすぎないと、私はこの頃、よく思います。あこがれの手本をまねて、自分を成長させることでしか、自由に自分の作品をつくるという、人として、この上なくすばらしい、幸福な生活はないのではないでしょうか。
(2018年2月・会員つうしん第154号掲載)


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