2018年七夕書道大会感想
- harunokasoilibrary
- 6月21日
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今回は、短冊に規定課題を書く、という条件での創作がありました。これは、質も量も自由な課題とは違って、不自由な創作のように感じたかたも居られたかも知れません。しかし、好き勝手に書くことが自由かといいますと、必ずしもそうとは限らないのではないでしょうか。
街を歩いていますと、面白い看板や気の利いた看板があふれています。歓楽街などの酒場の看板や、ちょっとした料亭や飲食店などの看板なんかは、なかなか洒落たものがあります。看板だけでなく、お酒や飲み物やお菓子などのラベルやパッケージなどにも奇抜な文字や書らしき文字があふれています。私たちの生活空間は、洒落た、きれいな、びっくりするような、好き勝手な文字で包み込まれている、と言っても過言ではないでしょう。これらの文字のほとんどは、書家ではなく、デザイナーによって創作されていると思われます。デザイナーとは何者なのか、僕は知りませんが、書の修練の上に文字のデザインをしている者だとは思えません。書もどきの文字を要領よくまとめて、誤魔化す才能のある者のことをデザイナーというのかも知れません。現在の日本は、嘘が堂々と大道を闊歩している社会ですから、私たちを取り巻く文字も、嘘文字が伸び伸びと自由に歩き回っているのでしょう。
短冊といった古い伝統的な形式に、規定の文字を使って、個性的な書作品を創作する。この不自由の中から、本当の自由が生まれてくるのではないか、と僕は考えています。
書は、時間をかけて伝統を学ぶなかで、伝統を超えて現れてくるものではないでしょうか。
美しい文字とは、どのような文字のことだろうか、それをどうしたら書けるようになるのだろうか、と練習を繰り返すなかで考えつづけなければなりません。一点一画、文字の形、集合文字の美、余白など、書の美の根幹を学びつづけるなかで、自然に風格のある書が生まれてくると、僕は思います。奇抜な、人を食ったような、お遊び文字からは、本当に美しい書は生れないでしょう。
今回も、出品者のみな様から、僕は、書について学ばせていただきました事を何よりも感謝致します。ありがとう。
(2018年8月・会員つうしん第157号掲載)


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