2017年書き初め大会感想
- harunokasoilibrary
- 6月11日
- 読了時間: 3分
毎回思うんですけど、やはり、つまらない事に使う時間は、私たちには無いのです。良い色を聴いて、良い音を見て、良い作品に触れて、良い時を過ごさなければ、せっかく生まれて来たのにもったいないと思うのです。
何かの縁で、皆さんの作品に出合えたわけですけれど、こんな機会は一度しかないと思うのです。わたくしはこの一度にかけて何か話さなければならないのです。それでも、わたくしの言葉にあまり期待しないでください。深い意味はありませんから。作品に触れてキラッと生まれただけの浅い言葉ですから。わたくしは皆さんに直接触れることは出来ませんが、書を通して皆さんの人生の一端にほんの少しだけ触れ、それを幼稚な言葉に翻訳しただけなのですけれど、これはわたくしにあたえられた恵みのように感じてもいるのです。わたくしの言葉に一喜一憂しないでください。元気を出してください。縁を大切にしてください。学ぶ心を忘れないでください。
さて、前置きが長くなってしまいました。今回、書の創作について二、三感じたことを述べます。創作をする時、書道字典などを参考にする人も多いと思いますが、その際、字典の字をそっくりそのまま写す人がいますけれど、これでは盗作とかわりありません。字典以外のネットや雑誌に載っている過去や現代の書を写すのも同罪です。字典に載っている古典作品からは、書体の正確な形やくずし方を参考にするだけにしなければなりません。しかし、例えば、王羲之や寸松庵の書を何年も学んで、その書風を身につけた人が、何を書いても王羲之風、寸松庵風になるのは自然な事で、それは一向にかまいませんけれど、王羲之の字をそっくり写して、これはわたくしの創作ですと言われますと、それは困ります。臨書だと言われますならもちろん好(ハオ)ですが、創作では盗作になります。
わたくしたちは創作をすることで何を書こうとしているのでしょうか。もちろん、古典や現代の作家の作品から、自分の趣味に合った字形を見つけて来て、それを上手に再現しようとしているのではありませんねぇ。それらの作品に現れた線や字形の、由って来るところを想像して表現法を学ばねばなりません。それらの多くは、作者の思想や感情やものの見方考え方をデザインしたものだと思われます。べつの言葉で言えば、作者の喜怒哀楽を線や形や色をつかってデザインしたものであるということです。臨書して学ぶのはよろしいが、他人の喜怒哀楽を写して自分の創作に代えるなどといった、つまらない事に使う時間はわたくしたちには無いのではないでしょうか。
あなたのかけがえのない時を大切にして、あなたの喜怒哀楽をデザインしてください。ありがとうございました。
(2017年2月・会員つうしん第148号掲載)


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