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2015年七夕書道大会感想

  • harunokasoilibrary
  • 5月28日
  • 読了時間: 2分

更新日:5月31日

 創作する態度を考えるとき、夏目漱石と正岡子規のことを考えてみるのも参考になるかも知れない。漱石にとって、詩書画の創作は、煩わしい現実から逃避して、身心の安らぎを得るための、文人的な遊びであったように見える。一方、子規にとっては、一筆一筆が命がけの行為であり、辞世でもあり、それは、生きることそのものであった。こう言えば、漱石がいいかげんな人間のように見えるが、しかし、そうではない。漱石もまた、毎日毎日、小説の創作に身を削っていた。身心が破壊されかねないほどの創作の苦しみから、心の健康を守り、小説家としてより善く生きつづけるために、詩書画の創作は、彼には、なくてはならないものであった。書画は、二人とも本職ではないが、熱心に研究し、真剣に心をこめて、創作を楽しみ、そこに生きる歓びを感じていたようである。

 さて、大会には、猛暑にもかかわらず、力作がたくさん出品された。さずがに漱石・子規とまではいかないまでも、その門弟の門弟の門人くらいにはなれそうな作品も散見された。もとより、野のはな書展の出品作品ほどの完成度は期待していないが、完成度はともかく、情熱のない作品では、おはなしにならない。素人だから、趣味だから、と甘えられるのも迷惑だ。これだけが(書道のこと)趣味ではありませんし、他にも表現手段をもっていますので、なんてしゃーしゃーと、ケロリンと、のたまわれてはたまらない。一事が万事だ。語るに足りない。

 文字を大切にしている作品に出合うと、安心する。文字の点画や線を大事にしている作品もしかり。それは、字形だけでなく墨色にも現れる。書の墨色というのは、絵具の色とは違う。水墨画の色とも違う。上等な墨だから良い色が出るわけでもない。それは、人間性の深さの色である。文字や文字の点画や線にたいする愛情の深さの色である。美しい墨色は地層のように何層にも重なった色である。書の美しさは、何層にも重なった心の美しさである。心が積もり積もった姿が書である。

 山のような反故からしか美しい墨色は生れない。

(2015年8月・会員つうしん第139号掲載)


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