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2013年書き初め大会感想

  • harunokasoilibrary
  • 5月18日
  • 読了時間: 2分

更新日:5月31日

 「おもう」という言葉を、古代の人達は、おもに「思」と「想」の二つで表現したようだ。

「思」の、もとの字は「恖」で「囟(シン・シ)」と「心」から成っている。「囟」は、幼児の柔らかい脳の象形文字である。そこから、「思」は、脳で考えることを意味するようになった。

 「想」は、「相」と「心」から成っている。「相」は、「木」と「目」から成っていて、向こうにある木を、詳しく見る意味である。「相」の下に「心」がついて、ある対象に向かって心で想う(考える)ことを意味するようになった。その対象は、木のような具体的なものから拡張して、過去を追想したり、未来を予想したりする意味にもなった。

 さて、出品者のうち一人も、おそらく、このような漢字の意味を考えて、作品を作ってはいないだろう。創作は、漢字の意味を書くわけではないから、それは、あたり前なことではあるが、しかし、「おもう」という言葉に規定されて、自ずと「思」と「想」のどちらかの意味の表現になっていたように感じられた。

 多くの作品は、過去の経験によって蓄積された今の想いや、未来への希望としての「想い」の表現であった。

 五十人の「想」には、五十の「想」があるのが不思議である。人には個性があるのだから、それは当たり前ではあるのだが。

 ならば、その個性はどこに表れているのだろうか。字の形にか、紙面全体の構成にか、墨の使い方にか、もちろん、それらすべてに表れているわけだが、最も大事なことは、これらの造形的な、目に見える結果ではなく、はっきりとは見えにくいが、確かにそこに在る、言葉では表現できない作者だけの感情や思想が、線(画)に溶け込んで、表れているということである。

 個性は、一本の線に表れる。一本の線に、全精力を込め、線を大切にする一事から書が始まるのだ。一画に、どのようにしたら、最もよく自分の感情や思想を込められるのか、そこを創意工夫しなければ面白くない。そのためには、楽器の演奏家のように、筆の持ち方や運び方、指の使い方や腕の構え方、筆や紙などの用具の研究などを、日頃から、倦(う)まず弛(たゆ)まず積み重ねなければ、本当の書の楽しみを得ることは難しい。

(2013年2月・会員つうしん第124号掲載)


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