2010年七夕書道大会感想
- harunokasoilibrary
- 5月6日
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更新日:5月31日
「書を楽しむ」という言葉をあちこちで耳にするが、こんなご時世、真剣に生きている人が、書など楽しんでいる暇などあるはずがないだろう。まして、「墨と遊ぶ」などアホーの戯言(ざれごと)でしかない。この国には、楽・遊が好きな人が多いようだが、ぼくは、書を楽しんだことも、書に遊んだこともありません。皆さんはどうですか。熱心な出品者に冷水を浴びせるようで別に申し訳ないことはないが、猛暑にはちょうど良いかもしれない。
さて、うちわや短冊に好きな言葉や文字を書くわけだが、書く言葉を選ぶ段階で、もう自分の無教養やら人格が曝け出されて嫌になる。厭な性格やら見たくない人間性を隠そうとして、いかにも立派そうに見える人格お墨付きの古筆を写してごまかしたり、他人の目を気にして、きれいで美しい言葉を隠れ蓑にしてしまう。ましてや、馬鹿丸出しの自分を書展に出して衆目にさらすなど恥ずかしくてできるものでない。書が、書き手の人間丸出しの芸術ならば、書など誰がかくだろうか。
書とは、文字を、自分が美しいと思えるように工夫して表現しようとする単純な芸術だとぼくは思う。古人が文字の表現をさまざまに工夫して造形しているのを学ぶのも、白紙の上に自分の感覚や思想にしたがって、ああでもないこうでもないと表現に苦心するのも、ぼくには、本当に生きていると思える至福の瞬間である。
平面に書かれる書の線は立体的で空間的である。そこには過ぎ去ったあらゆる時が漂っている。懐かしい人や事にも出あえる。厭なこともたくさんあるが、それはそれで真実なのだと静かに感じられる。出品者の作品はそれぞれに美しく、無言で皆さんの作品と対話できることは、ぼくに与えられた楽しいひと時であった。
(2010年8月・会員つうしん第109号掲載)


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