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美しき森シリーズ
2009年-2020年
「美しき森Ⅰ」(日本国憲法第9条)第一番
「美しき森Ⅰ」(草稿)
「美しき森Ⅱ」(日本国憲法第9条)
「美しき森Ⅲ」(世界人権宣言)
「美しき森Ⅳ」(日本国憲法第97条)
「美しき森Ⅴ」(日本国憲法・前文)
「美しき森Ⅵ」(子どもの権利条約)
「どうか、いつまでも」Ⅰ
「どうか、いつまでも」Ⅱ
「どうか、いつまでも」Ⅲ
「どうか、いつまでも」Ⅲ―2
「どうか、いつまでも」Ⅳ
「どうか、いつまでも」Ⅴ
「どうか、いつまでも」Ⅵ
「美しき森Ⅶ」
「美しき森Ⅷ(「アイヌ神謡集・序」)
「美しき森Ⅸ」(日本国憲法第9条)
「美しき森Ⅹ」(障害者権利条約・前文・第1~第6条)



―「美しき森」を書き終えて―
「美しき森Ⅰ」の制作が2009年、「美しき森Ⅹ」の完成が2020年、12年に及ぶ制作だった。
日本国憲法を書にすることは初めから困難な問題があった。一つは詩でもない政治的な条文が作品になるのか?現実にあまり差し障りのない綺麗な言葉ばかりを書いてきた書の伝統には、そぐわないと思われたから。憲法9条は特に難しかった。戦争放棄、戦力不保持、国の交戦権を認めない、ガンジ―やキング牧師と同じ非暴力、不服従の思想である。もちろん、僕も同感であり強く平和を願っていた。平和への愛が9条を書かせたのである。しかし、現実は、ある女性の9条への思いの強さに動かされて書き上げたのだが、ぼくの9条創作メモにこのような記述を発見した。「知は力なり、知性は暴力である、知力は暴力である、九条は知性の結晶である。九条は暴力であるかないか、九条は力ではない、九条は言葉である、言葉は実在ではない、九条は幻である、九条には力はない」・・・よぼよぼの頭の変な老道化と笑っている奴が喜んでいそうだからこの辺でやめとこう。別のメモに「母のように淋しく 孤独な人のためにぼくは作品を描こう、描きつづけている間は、生きつづけられる、描くことをやめた時、死がくるだろう。母への手紙を書ききるまでは、死ぬわけにはいかない。」これが僕の創作の原動力だったのだ。つまらないイデオロギーや大きな思想や嘘嘘しい立派な理想なんかではない。美しき森の最後の「障碍者権利条約」まで 真実の愛だけがぼくの創作の原動力なのは一貫していると思う。
(2021年8月)
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